オートポイエーシス――生命システムとはなにか(T)


別府 真琴
別府内科クリニック

Key words: オートポイエーシス、認知システム、言語機能、意識、思考


はじめに
オートポイエーシスなる概念は、医学以外の領域すなわち哲学、社会学、情報学などの分野で大きな知の流れとなっている。しかしながら、この概念はもともと生命論であり、医学界において知られ理解されねばならないが、医者はオートポイエーシスという言葉すら知らないのが現状である。これは忌々しき事態であると思われる。
科学である西洋医学が拠ってたつ哲学的概念は、還元主義、二元論である。したがって、私たち医者は、人間の体を物質―機械とみなし、病気を機械の故障と考えてきた。すなわち、病気を物理化学的現象として理解しようと、三百数十年にわたって悪戦苦闘してきたといってよい。そのため、生命体である人間の病気は、本質的に理解されることなく、現在にいたっている。
人間という生命体でおこる疾病は、本来生物学的現象として理解されなければならないが、現在にいたるまで、そのように理解されることはなく、その土俵が提供されないできたのである。しかし、ウンベルト・マトゥラーナのオートポイエーシス概念は、はじめて新しい生命論のもと、革新的な土俵を提供してくれるものである。すなわち、還元主義にとってかわる哲学的概念となり得るのである。
そこで、今回は、まずこの概念が生まれるもととなったマトゥラーナの認知の生物学を紹介する。非常に難解な論文であるので、理解を可能にするために現在知られている他の学者の知識も引用しながら、解説したいと思う。そして、次回にオートポイエーシスを紹介することとする。

T)認知の生物学
オートポイエーシスの構想は、神経生理学者であり、神経解剖学者であるH.R.マトゥラーナの神経システムの研究から生まれた、神経システムがモデルのシステム概念であり、かつまた生命論である。
マトゥラーナの研究上のテーマは、「生命システムが起源以来、世代交代を経ながら保持している固有性とはなにか、言葉を代えれば、生命の有機構成(注1)とはなにか」ということと、「認知とはなにか」ということであった。最初は一見異なると思われた二つのテーマが、研究活動をおくるうち、実は同じ現象を指していることに、マトゥラーナは気づく。
認知は、生物学的現象であり、神経システムについて考察することにより、認知の機能、認知のプロセスが解明される。認知システムの本質があぶりだされると、生命システムすなわち生命の有機構成も明らかになることに気づいたのである。
● 生命システムの有機構成とはなにか
次回に述べるマトゥラーナとF.T.バレーラのオートポイエーシス―生命の有機構成は、次のような刺激的な言葉で始まる。

空間が二つに分かたれたとき、宇宙が生成する。単位体の輪郭が定められる。単位体
を記述し、創出し、制御することは、あらゆる科学探求の根底にある。

この冒頭の一文は、つぎのようなことを意味する。
生物は一つの組織をもっている。組織をもっているということは生物に限ったことではないが、生物に特有なことは、生物の組織からつくりだされたものは自らの組織自身からつくりだされたということ、すなわち生産物と生産者とのあいだに分離がないということである。
生命体の原点である細胞のメタボリズム(物質交代)がつくりだす構成要素は、自ら自身をつくりだした変換ネットワークをもつくりあげている。これらの構成要素のうちのあるものが、境界つまりこの変換ネットワークの限界を形成している。
この空間的断絶を可能にする構造は、膜である。この膜は、自らの構成要素をつくりだす変換ネットワークの拡がりを画定するのみならず、このネットワークに機能的に参画しているのである。
マトゥラーナは、この変換ネットワークこそ、つぎに述べる生命の有機構成を意味すると考える。

生命システムは今日地球上に存在し、エネルギー放出性の物質代謝、成長、体内分子複製によって特徴づけられ、これらはすべて閉じた円環的因果過程のうちで組織されている。この閉じたプロセスは、進化論的な変化に対し円環そのものが失われることなく維持されるようにつくられている。エネルギー放出性の物質代謝は、それぞれのモノマーから特殊なポリマー(たん白質、核酸、脂質、多糖類)を合成するためのエネルギーを供給し、それらは成長と複製に用いられている。複製の一定の回路によって特定のポリマーが合成され、それぞれのクラスに固有のモノマーの連鎖が確保される。エネルギー放出性の代謝や特殊なポリマー(たん白質、核酸、脂質、多糖類)の合成には、特定のポリマー(酵素)が必要である。
この円環的有機構成は、自らを産出し維持する機能をもった定常的システムである。この事態は、円環的有機構成を特定する構成素が、逆にその合成や維持を円環的有機構成によって保証されるという規定関係によって成り立っている。さらにこの円環的有機構成は、生命システムを相互作用の単位として規定するのであり、単位としての生命システムの維持にとり本質的である。円環的有機構成を特定する構成素が、逆にそれ自身の合成や維持を円環的有機構成に負っているという事態は、構成素の機能の産物が同時に構成素を産出する生命の有機構成となることによって生じる。
● 生命システムは自己言及システムである
生命システムの連続性を保証するのは、有機構成の円環である。有機構成の円環性によって、生命システムは相互作用の自己言及領域をもつといってよい。つまり生命システムは自己言及システムである。自己言及システムは、生命システムの円環的有機構成を備えるか、もしくは機能的に構成素の円環的有機構成に関与しているか、あるいは両方とも行っているかである。蜂(ミツバチ)の社会は、この種の自己言及システムの第三次の事例である。この第三次のシステムは、蜂そのものである第二次の自己言及システムに基礎を置く円環的有機構成をもち、蜂はさらに第一次の自己言及システムである細胞に基礎を置く円環的有機構成をもつ。三つのシステムはすべて、それぞれの相互作用領域をもち、自己自身の維持と他のシステムの維持に従っている。
●生命システムは自己言及システムであり、認知システムである
生命システムは自己言及システムであり、かつ認知システムである。マトゥラーナは述べる。

生命システムが認知的相互作用に入ると、生命システムの内的状態は、自己維持にふさわしい仕方で変化する。もとより生命システムは同一性を失うことなく認知的相互作用に入る。神経システム(あるいはその機能的な等価物)を欠く有機体では、相互作用は化学的ないし物理的なものである(たとえば分子が吸収され、酵素過程が開始される。光量子が捕らえられ、光合成の一つの段階が完成される)。これらの有機体にとって物理的なできごととできごとの関係は、相互作用領域の外にとどまるのである。神経システムは、内的状態をたんに物理的できごとによってではなく、「純粋な」関係によって固有の仕方で変容させることで、有機体の相互作用領域を拡大する。動物(たとえば猫)の感覚器は光によって変容し、動物そのもの(猫)は、可視的な実体(たとえば鳥)によって変化する。動物は感覚器表面で光量子を吸収し、また活性化した感覚器間の関係と自分自身との相互作用をとおして変化する。神経システムは「純粋な関係」との相互作用を可能にすることで、生命システムの認知領域を拡大する。

「純粋な関係」とは脳の機能をあらわすが、ヒトにおける脳の進化がヒトの認知領域を拡大し、ヒトを他の動物とはまったく違う動物へと変えてしまったのである。

●ヒトの脳が動物の脳と違う点はなにか
ヒトの脳が、チンパンジーやゴリラ(ヒトに最も近い動物)の脳と比べてみて大きく異なるのは、言葉を使う領野(言語領野)が新しくつけ加わったことである。ということは、ヒトと動物で異なる大きな特徴は、ヒトが言葉を使う能力を持つということである。ヒトはチンパンジーとくらべて行動や運動能力にあまり差はなく、ほとんど同じである。断然ヒトが優れているのが、言葉を使う能力である。
ヒトとチンパンジーの脳で言語領野以外に異なる部位は、前頭連合野で、ヒトはチンパンジーの三倍もある。その理由は、言葉をコミュニケーションとして使う複雑な社会関係のせいと考えられている。
●脳の機能でヒトが優れていることはなにか
また、脳の機能でヒトと動物で大きく異なることは、意識状態、特に観察、自己意識、思考などである。世界を認識するという意識状態は、ヒトと動物であまり変わらない。ヒトと動物で大きく異なるのは、観察、自己意識、思考という脳の機能概念である。
ヒトと動物で大きく異なる脳の機能は、言語機能であるので、観察、自己意識、思考などの脳の機能概念は、言語機能から生まれるといってもよい。意識、自己意識、精神、これらは言語において生じる現象であることを、科学的に証明したのは、Gazzanjgaである(注2)。
言葉を発したり、理解できる言語領野は左脳にあるが、両方の大脳半球を作動させて言語を発し理解することのできる、すなわち言語脳に関して両利きであるものがまれに存在する。このようなもので、なおかつてんかんという疾患をもつ患者(ポール)に、脳梁分離手術(てんかんの治療として行われる)が行われた。この患者ポールに、Gazzanjgaはある試みを行った。
ポールは、両方の半球をつうじて、言語的相互作用に参加することができるのである。
「スプーンを取りなさい」とか「きみは誰?」とか「明日は何曜日?」という質問に対して、分離された脳半球はいずれも正しい答えを選択できた。ところが、「おとなになったら何になりたい?」という質問に対して、左脳は「自動車レーサー」と答えたのだ。しかし、右脳は「デザイナー」だった。
この興味ある観察から、ポールの右脳人格と左脳人格は、いずれも、ふつう反省的思考能力をもつ意識―精神だけに可能な行動をおこなえるのだということがわかる。これは重要なことである。両半球のそれぞれで独立に言語による思考を行うことのできないほかの患者と違って、ポールの場合は、言語域(注3)の自己言及現象としての言語なくして、自意識は存在しないということを示している。意識、自意識、精神、これらは言語において生じる現象であることを物語っている。
いままでは、意識、観察、自己意識、思考などの概念は哲学的にしか語られてこなかったが、Gazzanigaの実験をふまえ、マトゥラーナがはじめて、観察、自己意識、思考という概念を言語機能から説明したのである。
●言語とはなにか
言葉は、自分の考えや感じたこと、そしてなにかの情報を相手に伝えるものだと考えられている。すなわちいままでは、言語は情報伝達のための指示的な象徴的システムと考えられていた。
情報伝達の象徴的システムが発達するには、進化論的な起源において、指示機能が存在していることが前提になる。しかし、マトゥラーナは、指示機能の進化論的起源をみいだすことは困難であることに気づく。したがって、言語を可能にする基本的な生物学的機能は、指示機能ではないという。
それでは、言語の生物学的機能とは、一体何であるのか。
それには、言語の進化論的起源を理解しなければならない。
脊椎動物であるアンテロープ、オオカミ、また霊長類のひひ、チンパンジーなどは、群れをつくる社会性動物である。これらの動物が形成する群れで、個体と個体の間の相互作用において、指示機能をあらわす行動は見当たるだろうか。模倣はみられても指示機能は存在しないとマトゥラーナはいう。
これらの社会性動物において、何か一つの目的に向ったお互いの行動を方向づける協働的、合意的な調整行動ともいうべき、ある特定のタイプの相互作用がみられる。このような相互作用はコミュニケーションと呼ばれ、コミュニケーション行動が言語行動の基礎になっているとマトゥラーナは洞察する。
したがって、言語の機能は、行動の指示機能ではなく、従来の概念からみれば非言語的ともいうべき概念である行動の合意領域に存在する。
● 社会性動物でみられるコミュニケーション行動――合意的方向づけ相互作用
マトゥラーナは、社会性動物を次のように観察する。

山に住むアンテロープのような有蹄類の群れに近づくと、群れは一頭残らず逃げ出してしまう。そして、ある程度高い頂きにたどりつくと、ふりかえってこちらをうかがう。
つぎの頂きへ行くためには、見通しがいったん妨げられるような谷間を通らなくてはならない。そのとき、群れは指導的な一頭のオスによって導かれ、メスと子どもがそれに続き移動する。そして、ほかの複数のオスが後ろにつき、そのうちの一頭はいちばん近い頂きに残って、ほかのアンテロープが斜面を下りていく間敵を見張っている。群れが新しい高みにたどりつくと、ただちにあとを追う。
また、オオカミの群れは、大きなムースを追跡し、攻撃し、しとめる。そのとき、それぞれに身がまえ、歯をみせたり、耳を伏せたり、尾を振ったりして、お互いに行動を調整し、一頭ではとてもできない仕事を達成する。
またイルカは、聴覚による豊かで効果的な協働的相互作用システムを発達させているという。

このような学習された方向づけの相互作用は、有機体の相互作用領域を再帰的に独自に拡大することのできる行動のモード、たとえば社会生活や道具の製作、使用とカップリングして、方向づけ行動の進化の選択的基礎を与えてきたと思われる。これらの社会性動物でみられるこのような行動は、行動を指示するものではなく、合意的な方向づけ相互作用といえる。
マトゥラーナは、このような合意的方向づけ相互作用ともいうべきコミュニケーション行動が言語行動の基礎になっているという。これらの合意的方向づけ相互作用は、後天的なものであるといえる(蜂の社会の合意的方向づけ相互作用は、遺伝子による先天的なものであるが)。
● 神経システムの機能の単位は、(認識)行為である
神経システムの解剖学的単位はニューロンである。しかし、神経システムにおいては、
すべての相互作用は、システムが生み出す(認識)行為へと連動していくニューロンの相対的活動状態の連鎖によって表現される。したがって、神経システムの機能的単位は、ニューロンではあり得ない。(認識)行為そのものだけが、神経システムの機能的単位とみなされると、マトゥラーナはいう。
認識行為、すなわち、世界を認識する意識状態は、瞬間の心理的現在を意味するが、マトゥラーナは、現在の自分自身の状態と表現しているだけである。すなわち、瞬間の心理的現在を、マトゥラーナは、神経生理学的に説明することを放棄している。
瞬間の心理的現在、すなわち世界を認識する意識状態(注4)を、神経生理学的にうまく説明したのは、茂木健一郎である。茂木によれば、意識的認識に関与するのは、大脳皮質、視床、海馬領野であり、ニューロン間に双方向の興奮性結合がある場合としている。また大脳皮質のニューロンの発火頻度がある一定のしきい値に達し、ニューロンの発火が相互作用連結性において短連結にならないと、意識は生じないとしている。
茂木は、このように、認識行為という神経システムの機能単位を神経生理学的にうま
く説明しているが、観察、自己意識、思考などの概念については、まったく語る資格はないと言明している。
したがって、観察、自己意識、思考などの概念の理解に関しては、マトゥラーナの独壇場である。
● 言語機能から観察、自己意識、思考が生まれる
生命システムは認知システムであり、認知は生物学的現象(注5)である。科学である西洋医学の一分野である神経生理学は、認知を物理化学的現象として理解しようとするから、認知システムすなわち生命システムを理解できないとマトゥラーナは指摘する。
特にヒトの生命現象を理解しようと思えば、認知一般、および自己認知、すなわち認知の現象を理解しなければならない。
マトゥラーナは、言語、観察、自己意識、思考(抽象的思考を含む)などは、未来永劫にわたって、神経生理学的に解明できるものではないと考える。もちろんこれらの概念も、実際は、神経生理学的すなわち物理化学的に起こっている生物学的現象であるが、物理化学的現象に還元できないという意味である。
認知は生物学的現象であり、神経生理学的(物理化学的)に理解できないので、認知の現象に認識論的洞察を与えることをマトゥラーナは試みた。マトゥラーナは、認知する有機体の機能的有機構成にふさわしい見解を、言語、観察、自己意識、概念的(抽象的)思考などの現象に対して提示したのである。
前述したように、ヒトにおいて特に発達した言語機能は合意的方向づけ相互作用であるコミュニケーション行動が基礎になっているとみなされる。
ミツバチのような社会性昆虫の本能的コミュニケーション行動ではなく、先に述べたアンテロープ、オオカミ、イルカなどのような、生物の進化において学習されたコミュニケーション行動のことを言語域と呼べば、言語域が自己言及的構造をもつようになるとき、言語が出現するといえる。すなわち、言語域が自らを描写できるようになるとき言語が出現する。したがって、言語の核心的な特性とは、言語を使うものがさまざまな言語的識別を言語的に識別することによって、環境と自分自身とを描写することを可能にすることだといえる。
このような言語の自己言及的な性質から、有機体は観察者になる。私たちは自己観察をつうじて、相互作用の表現を再帰的につくりだすことによって自己意識を生じさせる。
ヒトの脳が自己言及的構造をもつ言語機能をもつようになったことは、ヒトの脳、すなわち神経システムも、円環的有機構成をもつことを意味する。円環的有機構成の構成素は、認識行為である。これは重要なことであるので、もう一度、マトゥラーナの理論をそのまま紹介することにする。このなかで、第一次記述、あるいは第二次記述は、認識行為を意味する。

A,Bの有機体が、方向づけ相互作用を行なうとき、有機体Aの行動は、コミュニケー
ションを行う第一次記述として、有機体Bの神経システムに特殊な活動状態をひきおこす。この活動状態は相互作用で生み出された関係を具現し、有機体Bの行動を表現する(生態的地位の第一次記述)。この行動は、有機体Aの方向づけ行動に内包されていたものである。ニューロンの活動状態としてのこの表現は、原理上神経システムによって相互作用の単位として扱われる。だからもしそうなることが可能ならば、有機体Bは、自分自身の生態的地位の第一次記述の表現と、まるでそれが独立した実体であるかのように相互作用することができる。すなわち、コミュニケーションの第二次記述を生み出す。さらにこの表現は相互作用の別の領域(認知領域の別の次元)、つまり方向づけの相互作用をふくむ行動全般(相互作用)の表現と相互作用を行う領域を生み出す。これらの表現は、あたかも生態的地位における独立した実体であるかのようになる。つまり、言語域である。
有機体がコミュニケーションの第二次記述を生み出し、第二次記述を表現する自分自身の活動状態と相互作用し、この表現へと向けられた別の第二次記述をつくりだすなどのことができれば、このプロセスは原理上際限なく再帰的に進行しうる。このようにして、有機体は、言語的識別を言語的に識別することによって、環境と自分自身とを描写しながら、すなわち、描写についての描写における共=個体発生としての言語とともに生きる。このような言語行動が観察という行為である。言語が生じると同時に、また言語する実体としての観察者も生じる。そして、有機体は、コミュニケーションの第二次記述(方向づけ行動)の表現との相互作用領域として、言説を生み出す。
さらにこうした観察者が方向づけ行動をつうじて自己を自分自身へと方向づけ、さらにこの自己方向づけの第二次記述へと向けられるコミュニケーションの第二次記述を生み出すことができれば、観察者は再帰的にそれを行うことによって、無際限に自己を第二次記述する自分自身をさらに第二次記述することができる。こうしてコミュニケーションの第二次記述をつうじて、言説は、自己記述というみかけ上のパラドックスをひきおこす。つまり、自己意識であり、相互作用の新たな領域である。
神経システムは、自分自身の状態とまるでそれが独立した実体であるかのように再帰的に相互作用することができる。それはこの状態がどのようにして生み出されたのかにはかかわらないのであり、原理上は無際限に再帰的に相互作用を反復することができる。唯一の限界となっているのは、現実的、潜在的行動――神経システムでは行動そのものと必然的に連動している――が前進的に転換していく際に、直接ないし間接的に有機構成の根本的円環に従属せざるをえない点である。言語領域、観察者、自己意識は、神経システムの自分自身の状態との相互作用の異なった領域としてあり、相互作用が生成する環境にあって、これらの各状態は、有機体の相互作用の異なった様相を表現しているのである。

コミュニケーション行動としての言葉がやりとりされるとき、当然思考という認識行為が行われている。したがって、言語機能と思考は、同じ神経生理学的プロセスに基づいたものであるといえる。私たちは、言語領域での活動をつうじて思考している。
●生命システムは観察者である
言語的行動は合意領域における方向づけの行動であることをいままで述べてきた。言語的相互作用は、進化をつうじて有機体の間に協動的な合意的相互作用システムをつくりだしてきたのである。言語の機能は、方向づけるものの認知機能にかかわりなく、方向づけられるものの認知領域で方向づけられるものを方向づけることである。話し手から聞き手への思想の伝達は何もなく、聞き手は自分の認知領域に相互作用をつうじて不確かさを縮小しながら情報をつくりだすのである。
言語行動としてのコミュニケーション現象は、情報が伝達されるのではなく、それを受ける人に何が起こるのかにかかっている。すなわち、情報はつくりだされるのである。
生命システム(神経システム)は、円環的有機構成をもった自己言及システムであり、認知システムである。すなわち、他の類似したシステムや自己自身との相互作用を方向づけることによって、合意的言語領域と自己意識領域をともに生み出すことのできるシステムである。つまり、生命システムは観察者である。
私たち観察者の神経システムへの入力がなんであるのかを明示することはできない。どの状態も入力でありうるし、どの状態も相互作用の単位として神経システムを変容しうるからである。相互作用(外的なものと内的なもの両者)はいずれも私たちの内的状態を変え、私たちが新たな相互作用へと参入する姿勢や観点(機能的状態)を変更するのだから、すべての相互作用は私たちを変えるのだといってよい。そのためどの相互作用においても必然的に新たな関係がつくりだされ、新たな活動状態に具体化される。
これらの相互作用をつうじて私たちは独立した実体を規定しており、この実体の実在性は、唯一それを特定する相互作用(第一次記述)のうちにある。実体は、性質を規定している相互作用によって生み出されるのだから、異なったクラスの性質をもつ実体は、独立した相互作用領域を産出する。こうして、一切の還元主義は不可能になる。
● 病気の本質を西洋医学は理解できるか
このような議論をしてきたわけは、西洋医学の還元主義では、観察者として生きる患者の病気の本質を根本的に理解できないということである。
生命システムである、細胞そして有機体(神経システム)は、観察者である。還元主義では、遺伝情報に則って細胞は機能するとみなされる。しかし、観察者自身である細胞においては、遺伝子同志が会話を交わし、その結果細胞全体としての統合された機能を表現する、すなわち情報はつくられるのである。したがって、遺伝子が細胞を機能させるのではない。細胞の円環的有機構成が遺伝子を機能させる。
また、観察者である有機体は、神経システムによって観察者になるのであるが、神経システムの物理的、生化学的環境ともなっている。それゆえさまざまな有機体の状態(物理的、生化学的)は、神経システムの解剖学的構成素であるニューロンの受容器表面に作用することによって神経システム全体の活動状態を変化させる。
また、さまざまな神経システムの状態は、有機体の状態(物理的、生化学的)を変化させる。この相互作用は再帰的にくりかえされる。
したがって、ニワトリが先か、タマゴが先かの話のようであるが、観察者である有機体においては、神経システムが有機体を統合するものと考えてよい。しかし、二元論に基づく西洋医学では、身体的な病気を考える場合、神経システムの働きは考慮されないのが通常である。有機体たとえばヒトでは、いきなり心臓、肺、肝臓、胃腸などの部分に分けて、還元主義的にそれぞれの臓器を理解しようとする。
生命システムが相互作用の単位として規定されるのは、有機構成(円環的)によってである。生命システムの有機構成は、構成素の産出や維持を保証する円環的有機構成である。これらの構成素は、それらが機能することの産物がまさに構成素そのものを産出する有機構成となるという仕方で有機構成を特定している。神経システムの機能的単位は、ニューロンではなく認識行為である。認識行為の連鎖が、神経システムの円環的有機構成を形成する。そして、有機体を変える。したがって、有機体は生命システムであるが、神経システムとカップリングした生命システムであり、有機体を心臓、肺、肝臓、腎臓、胃腸、眼、鼻、耳などの部分に分けて、理解しようとしても、理解できないのである。
したがって、厳密な意味では、細胞や有機体(神経システム)という単位は、部分をもたないといってもよい。単位が単位でありうるのは、それが単位である観点と同一の観点で他のものとの区別をなしうる相互作用領域にある場合である。単位は、この区別を特定する相互作用領域をつうじて有機構成を特徴づけることで、はじめて言及しうるのである。したがって、単位を部分に分けて理解しようとする西洋医学の還元主義では、病気の本質を理解できないといえる。
●西洋医学の問題点
いままでは抽象的に述べてきたが、西洋医学の大きな問題点を、いくつか例をあげ、具体的に述べてみようと思う。
慢性関節リウマチの原因は、自己免疫疾患と考えがちである。しかし、自己免疫疾患はリウマチの病態であり、原因ではない。原因は不明ということになって、そこで思考は止まってしまう。リウマチ以外の自己免疫疾患もしかりである。
また、成人気管支喘息は、1)重症度とIgEの濃度とは関係しない 2)免疫学的にアレルゲンを特定できない 3)肥満細胞からの顆粒の分泌や、ロイコトリエンなどのメディエーターの合成、分泌は、免疫反応以外の刺激でも起こり得る などのことから、アレルギー反応とは考えられない。しかし、およそ十年前より喘息の病態は炎症であることが判明してからは、原因はアレルギーであるかのごとく考える医者が増えている。本来、成人気管支喘息は心身症と考えなければならないが、良い心身医学治療がないため、アレルギーでないことがはっきりしているにもかかわらず、お茶を濁してしまうのが西洋医学の悪弊である。
そして、がんも生活習慣病であり、ものの感じ方、考え方、ストレスなども発症、経過に大いに影響があることがはっきりしてきた(注6)。しかし、がんの予防、治療にリーダーシップを担っている国立癌センターのがん予防ポスター「がんを防ぐための12ヶ条」は、すべて、食事、運動、嗜好品に関するものである。このような偏った観点は、他の疾病に対してもしかりである。
●まとめ
西洋医学は、科学として君臨している。しかし、本来あるべき姿としての医学は、物質を対象としたものではなく、生命システムを対象としたものであるべきはずである。すなわち本来の医学は、物理化学的現象を対象とするものではなく、生物学的現象を対象とするべきである。したがって、現在の西洋医学は、生物学的現象を物理化学的現象に還元しようとする不確実の科学ということができよう。

注1) 有機構成:生命の構成素間の諸関係が、単位体の有機構成を形成する。
注2) 文献1
注3)言語域:学習されたコミュニケーション行動
注4) 認識における瞬間、すなわち最小の時間の単位は、ニューラル・ネットワークの大きさをアクション・ポテンシャルの伝達速度で割ることによって推定できる。すなわち、脳内の軸索の最大の長さを20cm程度とし、アクション・ポテンシャルの伝達速度として律速の毎秒2mを採用すれば、最小の時間単位は100ミリ秒程度となる。
注5)生物学的現象は、構成素の特性をつうじて実現されるプロセスの間に成り立つ諸
   関係の現象学であり、物理化学的現象は、構成素の特性の間に成り立つ諸関係の
   現象学である。
注6) 文献2、3

参考文献および参考図書
1) Gazzaniga MS, LeDoux JE :The Integrated Mind, Cornell University Press, New York,1978.
2) Grossarth-Maticek R , Eysenck HJ, Vetter H :Personality type,smoking habit and their
interaction as predictors of cancer and coronary heart disease. Personality and Indivi-
dual Differences 1988;9:479.
3) Eysenck HJ,Grossarth-Maticek R :Creative novation behavior treatment for cancer and
coronary heart diaease:2Effects of treatment. Behavior Research and Therapy 1991 ;
29:17.
4) 茂木健一郎:脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか、日経サイエンス社、東京、
1997
5) 栗本慎一郎、澤口俊之、養老孟司、立川健二:脳・心・言葉、光文社、東京、
1995 
6) ウンベルト・マトゥラーナ、フランシスコ・バレーラ著、訳、菅啓次郎:知恵の樹――生きている世界はどのようにして生まれるのか、筑摩書房、東京、1997

追記:この論文は、下記の原著と訳書から生まれたものです。
   原著:MATURANA HR, VARELA FJ: AUTOPOIESIS AND COGNITION―
The Realization of the Living, D. REIDEL PUBLISHING COMPANY,
DORDRECHT,HOLLAND,1980
訳著:河本英夫:オートポイエーシス―生命システムとはなにか、国文社、東京、
      1991  

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