オートポイエーシス―生命システムとはなにか(U)


別府 真琴
別府内科クリニック

Key words :オートポイエーシス、有機構成、生物学的現象、物理化学的現象、         
      理論生物学


はじめに
 今回紹介するマトゥラーナのオートポイエーシス―生命の有機構成という論文は、前回紹介した認知の生物学の延長として書かれたものである。オートポイエーシスという語は、自らが自らを創出するという意味のマトゥラーナとヴァレラの造語である。
 認知の生物学で明らかにされた、生命システムを特徴づける円環的有機構成なる概念を端的にあらわす言葉を、マトゥラーナは模索していた。そのとき友人が会話の中で、ドン・キホーテのジレンマに分析を加えてくれたことがきっかけになった。つまり、武器の途(プラクシス、行為)と言葉の途(ポイエーシス、創造、生産)のどちらをとるかという問題で、プラクシスの途をとるという選択は、ポイエーシスのあらゆる試みを延期してしまうというのである。このとき、マトゥラーナは、ポイエーシスという言葉の威力を実感し、捜し求めていた言葉をつくりだした。それが、オートポイエーシスである。
「生きていると認められる一切の生命システムに共通するものはなにか」という命題、すなわち、自律性と多様性、同一性の維持と同一性を保ちつつ変異する生命システムの起源を、総体として捉えようとすると、生物学者は不快になり、この解答を断念せざるをえなくなる。すなわち、生命の有機構成とはなにかという命題に対して、本質的なところで、手つかずのままにされてしまうのである。
生命システムの構成素の本性がどのようなものであろうと、すべての生命システムに共通の有機構成があるというのが、マトゥラーナらの仮説である。この論文は、オートポイエーシスが生命の有機構成を特徴づけるのに、必要かつ十分であることを示そうとしたものである。
U)オートポイエーシス――生命の有機構成
従来、科学である生物学、医学は、生命システムを観察者の立場からみてきた。すなわち、生命システムは、環境世界のなかで環境世界と相互作用するものという観点で捉えられてきた。
しかし、オートポイエーシス論は、生命システムを観察者からみるのではなく、システムそのものからみるという分析の視点の大きな変更である。
オートポイエーシスなる概念は、神経システムから生まれたことを前回に述べた。すなわち、神経システムはオートポイエーシス・システムである。神経システムの構成素は、認識行為というプロセスであり、認識行為の連鎖が有機構成を形成する。このシステムと構成素の関係、すなわち神経システムと認識行為の関係が、オートポイエーシス・システムを機構として特徴づけるのに役立ったと思われる。
● オートポイエーシス・システムとはなにか
オートポイエーシス・システムを機構として特徴づけるのはつぎのような規定である。

オートポイエーシス・システムとは、構成素が構成素を産出するという産出(変形および破壊)過程のネットワークとして、有機的に構成(単位体として規定)されたシステムである。このとき、構成素はつぎのような特徴をもつ。@変換と相互作用をつうじて、自己を産出するプロセス(関係)のネットワークを、絶えず再生産し実現する。Aネットワーク(システム)を空間に具体的な単位体として構成し、また空間内において構成素は、ネットワークが実現する位相的領域を特定することによってみずからが存在する。

このオートポイエーシス・システムの定式化は、まさしく神経システムすなわち脳の神経ネットワークの機能の連鎖、したがって、認識行為の連鎖を想起させるものである。
オートポイエーシス・システムである神経システムは、それ自身の構成素すなわち認識行為を生み出す言語機能を機能させることによって、神経ネットワークを形成し、システムを特定する(自己意識)。そしてこのとき、ゆらぎとゆり戻し(観察)が繰り返されながら、認識行為(構成素)は、果てしなく再帰的に循環する(円環的有機構成の成立)。
神経システムの有機構成は、それじたいによってしか語ることのできないような閉じた関係領域をつくりだし、それが具体的にシステムとして実現されるような空間を画定する。そして、この空間における次元にあたるのは、システムを実現する構成素の産出関係である。
この産出関係は、
1) 構成の関係――産出される構成素が、オートポイエーシスの実現される位相を構成するよう規定する。
2) 特定の関係――産出される構成素が、オートポイエーシスに参加することによって規定され、特定の構成素となるよう規定する。
3) 秩序の関係――構成、特定、秩序の関係にある構成素の連鎖が、オートポイエーシスにより特定されたものとなるよう規定する。
の三つに類別される。
神経システムにおいては、言語機能は構成関係を産出し、自己意識は特定関係を産出し、観察は秩序の関係を産出する。そして、神経システムの有機構成の構成素は、認識行為である。
●オートポイエーシス・システムとしての細胞(図)
神経システムのつぎに、オートポイエーシス・システムとみなされるのは細胞である。
細胞がオートポイエーシス・システムであることは、細胞の生活環からみれば自明である。説明されなければならないのは、細胞はどのようにしてオートポイエーシスを分子レベルで実現するかである。
細胞では、神経システムの言語機能に相当するのは、たん白質、脂質、炭水化物の産出によって形成される構成関係である。細胞はみずからの物理的境界を、構成関係を産出する次元によって定め、この構成関係が細胞の位相を特定する。
また細胞で、神経システムの自己意識に相当するのは、核酸やたん白質の生産をつうじて産出される特定関係であり、核酸やたん白質が産出関係一般の同一性を規定している。このことは一方で、DNA、RNA、たん白質を特定する関係によって、また他方では、酵素と基質を特異化する関係によって成立している。このような特定関係の産出は、構成関係の産出によって規定される基質においてのみ成立する。
神経システムの観察なる概念は、細胞においては、中間代謝産物の生成をつうじて産出される秩序関係を意味する。構成関係、特定関係、秩序関係を生み出すとき、細胞を構成するさまざまなプロセスや反応の速度の決定に関与するのが代謝産物であり、秩序関係を産出する。秩序関係は、継起的ないし同時的に生じる構成、特定、秩序の諸関係のネットワークを統合しており、これらの諸関係はホメオスタティックに維持されている。
以上述べたことは、つぎのようにいうことができる。
DNAは、ポリペプチドの特定、つまり酵素的、構造的なたん白質の特定に関与しており、ポリペプチドは、たん白質、核酸、脂質、糖質、および代謝産物の生成にかかわっている。代謝産物は、合成、増減を調節しながら、ホメオスターシスを維持する。
● オートポイエーシス・システムはホメオスタティック・システムである
オートポイエーシス・システムは、ホメオスタティックなシステムであり、その有機
構成は、システムが一定範囲に維持する基本的変数となる。そして、システムがオートポイエティックであるためには、それを規定する産出関係が生産される構成素によってつねに更新されねばならない。
 オートポイエティックな有機構成はつぎのような特徴をもつ。1)オートポイエーシス・システムは自律的である。それがプロセスのなかでどのように形態を変えようとも、オートポイエーシス・システムはあらゆる変化をその有機構成の維持へと統御する。2)オートポイエーシス・システムは個体性をもつ。すなわち、絶えず産出を行い有機構成を不変に保つことによって、オートポイエーシス・システムは同一性を保持する。3)オートポイエーシス・システムの作動が、自己産出のプロセスのなかで、みずからの境界を決定する(境界の自己決定)。4)オートポイエーシス・システムには入力も出力もない。

有機体を開放系の動的平衡システム(注1)として捉えた場合でも、自律性、個体性、境界の自己決定は、有機体の特徴として維持できる。しかし、解放系の動的平衡システムにおいては、入力と出力を欠くことはできない。オートポイエーシス・システムには入力も出力もないという事態は、オートポイエーシス・システムを象徴するような概念である。そこで、オートポイエーシス・システムには入力も出力もないという事態を説明する。
● オートポイエーシス・システムには入力も出力もない
 環境世界との相互作用を強調する解放系の動的平衡システムにおいては、空間的な区切りが自己の境界である。そのために入力も出力も存在し、また存在しなければならない。ところがオートポイエーシス・システムは、産出関係によってのみ自己の境界を区切る。空間的な区切りを一切導入せず、自己を規定している。したがって、観察者が見るような空間的な境界である皮膚、眼球表面、細胞の細胞膜などによって、自己が区切られるものではない。
入力も出力もないという状態を説明するのに、同じオートポイエーシス・システムであっても細胞より神経システムの方がわかりやすいので、神経システムで説明する。神経システムが作動するとき、システムは作動の原因として内部のものと外部のものを区別しない。システムはその作動の要因について、内部も外部も区別しないのだから、作用因という点では、つまり入力、出力という関係では、自己の境界は立てられない。システムを構成している構成素すなわち認識行為をシステム自体が産出するという産出関係だけが存在するのであり、システムはみずからの構成素(認識行為)を産出することをつうじて自己の境界を決定する。したがって、構成素の産出プロセスに関して、入力も出力もないという事態が生じるのである。
●細胞において神経システムの認識行為に相当するものはなにか
オートポイエーシス・システムである神経システムの有機構成の構成素は、認識行為であるが、おなじくオートポイエーシス・システムである細胞の有機構成の構成素はなにか。
オートポイエーシス・システムは、産出プロセスのネットワークである。したがって、細胞の場合、システムと構成素の間には、細胞膜に囲まれた空間的にイメージされる包括的な全体とそれの構成部分という構造的な全体―部分関係は成立しない。システムは、産出関係のみを軸とする純粋な機能的システムである。構造的関係を一切必要とせず、産出関係だけによって規定されるシステムであり、機能的にシステムの規定が与えられているのである。したがって、機能的に特定の構成素を明示することは困難である。機能的には細胞は単位体である。
細胞を外部から観察している観察者にとっては、産出プロセスのネットワークである
細胞の有機構成にアプローチするすべをもたない。すなわち、有機構成の構成素を知ることはできない。観察者は、自分自身の有機構成のモード(認知構造)をもっているために、システムとしての細胞が単位体として実現される空間内で、細胞と相互作用することができない。したがって観察者は、システムとしての細胞に固有の認識の次元を特定することができないために、細胞を単位体として、観察することができないことになる。観察者は細胞をシステムとしてまったく識別しておらず、作用すべき単位体をもっ
ていないことになる。
したがって、われわれ観察者は、細胞の有機構成にアプローチするすべを知らない。
●オートポイエーシス・システムに観察者はアプローチできない
神経システムの有機構成の構成素である認識行為にも、外部の観察者は通常アプローチできない。観察者が神経システムを単位体としてあつかうとき、システムが実現される空間とは別の空間で識別作用を行っているからである。観察者は単位体を区別しはするが、この区別はオートポイエーシス・システムの境界とは異なるものであり、観察者は異なった単位体を規定しそれと作用していることになる。
従来の科学の視点では、細胞を外部から観察する。しかし、オートポイエーシス論では、システム自らが自身のシステムを観察するという、産出プロセスのネットワークを基本にしている。すなわち、構成素はシステムによって産出されるプロセスであり、産出のプロセス間の関係が有機構成を特徴づけている。構成素は産出のプロセスのネットワークによって産出され、また逆に産出のプロセスを再産出する以上、システムを構成素に還元することは不可能であるどころか、そもそも還元ということじたいが問題にならない。
● オートポイエーシス・システムからみた遺伝機構
このようなオートポイエーシス・システムの本質からみれば、DNAの遺伝情報プロ
グラムから生命システムは設計されているという考えそのものにマトゥラーナは異論
を唱えていることがわかる。
マトゥラーナは、この点についてきわめて鮮烈な事例を示している。十三人の職人からなる二つのグループをつくり、家を建てる場合を想定する。一方のグループには、一人一人の職人に完成時の家の見取図を示し、リーダーの指示に従って、職人は見取図に示された情報プログラムを解読する。職人は情報プログラムにそって行動し、やがて見取図に示されたような家ができる。もう一方のグループには、家の見取図も設計図もなく、ただ職人相互が相互の位置や関係によって何をなすべきかがわかるような指示が与えられるだけだとする。職人は異なる位置から出発するのだから、それぞれ異なった変化の道筋をたどる。最終的にこの場合でも同じ家ができる。この場合、職人は自分が何をつくっているかを知らないし、家ができあがったときでもそれをつくろうと思っていたわけではない。しかもさらに家ができたときでさえ、それがある時点で完成したと気づくことさえない。
最初の例が、DNAの塩基配列に組み込まれた情報プログラムを解読することによって行為が進行し、やがて設計図通りのシステムができあがる場合である。情報プログラムが作動し、それによって指令されたシステムが形成されることになる。システムの現象は、情報プログラム(構造)に沿うものであるから、現象の説明は情報プログラムに還元されるという手続きがとられる。マトゥラーナは、こうした捉え方は観察者によるものにすぎないとみなす。これが、科学である西洋医学の発想である。
ところがオートポイエーシス論によれば、遺伝システムは産出プロセスのネットワークなのだから、情報の解読にみえている事態は、実際はシステムの作動によって情報がつくりだされていることになる。
したがって、情報プログラムとは、産出プロセスの結果を、DNAの塩基配列にあらかじめ備わったものと考える観察者の誤解であることになる。
● オートポイエーシス・システムは自己言及システムであり、観察者である
システムの構成素となるのは、システム自身の状態であり、この状態と相互作用する
ことによってシステムは新たな状態を産出する。産出プロセスという点でみれば、すでに産出された構成素と相互作用しながら産出プロセスが進行し新たな構成素を産出するのであり、産出された構成素という点でみれば、すでに産出されたすべての構成素が新たな構成素の産出に参加するのである。このようなシステムの作動は再帰的と表現され、円環的有機構成を形成し、自己言及システムとなる。
オートポイエーシス・システムは、このような再帰的作動にもとづいて新たな現象を生みだす。観察者や自己意識、思考、観察者としての観察者などの概念は、システムが生みだす新たな現象領域である。オートポイエーシス・システムの現象学は、システムの作動の結果として観察者を生みだすのである。観察という行為は、オートポイエーシス・システムの作動の一つの現象である。
オートポイエーシス論は、システムそのものにとっての位置からシステムの現象をみるものである。たんに観察者として外からシステムを分析したのではない。
したがって、オートポイエーシス・システムの作動の延長上に観察者を生みだし、システムの作動の一貫として観察という現象を生みだすからこそ、オートポイエーシス・システムについての語りはシステムに内的といえる。
生命システムは、自己言及システムであり、観察者である。自己言及システムであり、観察者自身である生命システムの営み、すなわち生物学的現象を物理化学的概念で観察しようとするあるいは理解しようとする試みは失敗に終ると思われる。というのも、生物学的現象を物理化学的現象に還元しようとすることは、現象を非オートポイエーシス現象学の領域で再定式化しているにとどまるからである。生物学的説明は、オートポイエーシスに従属するプロセスの観点で定式化されねばならず、生物学的現象学の領域で定式化されねばならないのである。
従来の科学である生物学は、観察者の立場から、物理化学的概念で生命システムを観察するすなわち生物の現象を分析するものである。
これに対して、オートポイエーシス論は、生命システムそのものから生命の営みをみようとする理論生物学であるといえる。

● まとめ
西洋医学は科学であり、生物学的現象を物理化学的現象に還元しようとするものである。したがって、病気の本質を理解しようとするパラダイムとしては、不十分である。
マトゥラーナのオートポイエーシス論は、この還元不可能性を見据え、将来に展望を見つけようとする理論生物学であるといえる。
最後に、生物学的現象である病気を、西洋医学で理解しようとするとき陥る罠を紹介し、私たち西洋医学医がオートポイエーシス論を理解できる幅の広さをもつことを願ってやまない。

1981年のアメリカ医学会誌「JAMA」に、カークパトリック医師は、28歳のフィ
リピン女性の全身性紅斑性狼 (SLE)の何とも不思議な症例を、「SLEと魔術」という表題で発表した(注2)。
この患者は、肝臓の肥大とリンパ節の腫大がみられ非常に衰弱していた。検査の結果、SLEであることがわかり、いろいろな薬が投与されたが効果はなくむしろ病気は悪化していった。
そこで、彼女は治療を断念し、生まれ故郷の辺鄙な村へ帰り、村の祈祷師の治療を受けた。祈祷師は、彼女に「あなたは昔の恋人に呪いをかけられたので病気になったのです」ともったいぶって話し、その呪いを解く儀式を行った。三週間後、彼女はアメリカに帰ってきたが、病気は医学的にみて見事に治っており、数ヶ月後に健康な女の子を出産した。
カークパトリック医師は、この論文の最後に「このアジアの医師は、どうして活動期のループス腎炎や粘液水腫を治し、副腎の機能不全を起さないでステロイドをやめさせることができたのだろう」と驚きを述べている。

注1)通常生命システムといえば、自己維持しながら、外界と物質代謝を行い、環境と
   の相互作用をつうじて自己形成していくという開放系の動的平衡システムであり、
   今日まで支配的になっている生命システムの原型である。
注2) 文献1

参考文献および参考図書
1) R.A.Kirkpatrick: Witchcraft and Lupus Erythematosus. JAMA 245:1937,1981
2) ウンベルト・マトゥラーナ、フランシスコ・バレーラ著、訳、菅啓次郎:知恵の樹――生きている世界はどのようにして生まれるのか、筑摩書房、東京、1997


追記1):この論文は、下記の原著と訳書から生まれたものです。
   原著:MATURANA HR, VARELA FJ:AUTOPOIESIS AND COGNITION-
The Realization of the Living, D.REIDEL PUBLISHING COMPANY,
DORDRECHT,HOLLAND,1980
訳著:河本英夫:オートポイエーシス―生命システムとはなにか、国文社、東京、
      1991
追記2)再生産と進化をふくんだ生命システムの現象学、そして、細胞と神経システム
    (有機体)との構造的カップリングなどについては述べなかった。今後、述べ
    る機会があることを願っている。
追記3)生物学のアインシュタインとも言えるマトゥラーナのオートポイエーシス論を
    兵庫県医師会医学雑誌で皆さんに紹介できることをうれしく思います。

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